今日は「頑張らないといけない」から自分を解放した時のお話を書いていこうと思います。
頑張ることが美徳
かつての私は、頑張ることが正義であり、美徳だと思い込んでいました。
どんなにカラダの調子が悪くても、休まず頑張って出勤して、頼まれ事はすべて「はい喜んで!」
今の働き方改革ではありえない連勤も、違和感を感じることなく、働かせてもらえていることに感謝しないと!なんて思っていました。
頑張るって「頑なに張る」って書きます。
確かにその頃の私は、頑なに片意地張ってやっていたことがいっぱいありました。
氣を張り詰めて、心はこわばり、本当は緩めた方が良い時でも自分を奮い立たせて突っ走っていた、そんな自分の姿を思い出します。
そうそう、ものすごいバズりを見せていた、こっちのけんとさんの「はいよろこんで」の歌詞そのものだったように感じます。
周りの期待に応えると同時に、疲弊する私の心とカラダ・・・
頑張らないと認められない、頑張らないと見捨てられる、私はこの会社にとって必要だと思われる人財になりたい!って頑張っていました。
頑張りすぎた過去の私
仕事を休むことにいつも後ろめたさを感じ、休むことは「悪いこと」だと思い込んでいた。
職場や家庭では、自分の本音にはフタをして、その場の空氣に合わせる。
いつも人の顔色をうかがって、空氣を読んでしまう、空氣は読むものじゃなく吸うものなのに。
相手の機嫌を損なわないように、嫌われないようにといい子でいました。
心がのらないことも無理してやって、嫌なことも喜んでやることが良いことだとと思ってた。
やりたいことがあっても、仕事や他者を優先して、自分のことはいつも後回し。
自分を犠牲にしてでも、一生懸命頑張ることが、私の生きる道だとずっと思ってた。
でも「心の声」が聞こえてきた。自分の本当の氣持ち、素直なまでの思いや感じていることが・・・。
もっと自分の中から出てくる「心の声」を聞く必要があることに氣がついたんです。
心の声とは、本当に声として聞こえてくるものではなく、自分の心が感じるもの。
本当はどうしたい?それは本音?我慢してない?と自分に自問自答し続けました。
自分の心の声を聴くこと=自分を大切にすること。
心の縛りを解放すると決める
そして私は、心の声に従い、もう無理をするのはやめよう「頑張らないことをがんばる」と決めました。
・いい子にならなくていい
・人に嫌われたっていい
・休みたい時は休めばいい
・人に認められなくていい
・人にほめられなくていい
・人と比べなくていい
この時、嫌われる勇気↓買いました
頑張らないことをがんばる生き方
心が疲弊するほど頑張らなくたって、人生はちゃんと前に進んでいきます。
肩のチカラを抜いて、心とカラダがホッとする生き方をする。
昔の私もそうだったけど、日本人って休むことに抵抗を感じてしまうもの。
実は休むって、動くことと同じくらいとても大事なことなのに。
無理してまで頑張らなきゃいけないことなんて、本当はないのかもしれない。
休むことは怠けることじゃない、心とカラダが壊れてしまうほど頑張っちゃいけない。
ラクに生きることは、甘えなんかじゃなく、自分を大切にすること。
もっと自分にやさしくなろう
私は「人にはやさしく、自分には厳しく」と思っていたけど、自分に向ける厳しさは実は、同じように
他人にも向いてしまうんですよね。
自分に厳しかった頃の私は「こうあるべき」という世界観で周りをみていた氣がします。
自分の中にある常識や普通で人を見ては、心の中がモヤモヤ、ときにイライラしていたと思います。
大切なのは「人にやさしく、自分にもっとやさしく」
人にやさしくする前に、徹底的に自分にやさしくなる。
私が私を大切に扱うことができたら、心に余裕がうまれ「自分にやさしくなれる」
自分にやさしくなることで、人にもっともっとやさしくなれる。
私がいちばん大切にしていること
私は、頑なに片意地張ってやっていた頃の私も大好きです。
どんなに「ダメな自分」も否定することなく、大好きでいられたら「人生は底抜けに楽しい」
私が生きる上でいちばん大切にしていることは、どんな自分も丸ごと「愛してあげること」
人生は有限です!本音でリアルに楽しむことが人生の醍醐味だと私は思います。
建前ではなく、自分の心の声に耳を傾けてみてくださいね。