薬のアレルギー反応
1歳の孫、cocoに起きた出来事です。
cocoが発熱で病院に行ったところ、重度の中耳炎と診断され、薬を処方されたそうです。
2度目の診察で耳の腫れが治っていないことがわかり、薬が強いものに変わったとき、その途端、全身にものすごい発疹が出たと動揺しながら娘から連絡がありました。
この話を聞いたとき、私はすぐに「薬の副作用」だと思いました。
私も薬で怖い体験をしているので↓
薬は病気を治したり、症状を軽くしたり、予防したりする働きがある一方で、副作用が出たりすることが意外と多いんですよね。
その後、顔が真っ赤に腫れ上がり呼吸の様子も変わってきたので、救急で病院に行ったところ、薬の副作用「薬疹」と診断されたようです。
今回は入院とまでにはならず大丈夫でしたが、全身に現れる激しい急性のアレルギー反応「アナフィラキシー」の恐れもある状態だったみたいです。
「アナフィラキシー」と聞くと、蜂の毒や食べ物によって起きるものというイメージだったんですが、アナフィラキシーショックで命を落とすケースが一番多いのが薬剤によるものだとか。
薬は、本来の狙い通りの作用とともに、望んでいない作用である「副作用」もあるんですよね。
薬の期限が切れていた、飲み方を間違えた、ばかりではなく、正しく飲んでいたとしても、思わぬ副作用に見舞われることもあるので、薬にはリスクがあるということを認識して、安易に飲まない、飲みすぎないことが大切な自分のカラダを守ることだと思います。
実は若かりし頃、ほんの少し期限が切れた頭痛薬を飲んでしまったことがあったんです。飲んだあと、痛みが収まるどころか痛みは増していき、めまいと吐き気におそわれ、とても怖い思いをしたことがあったんです。
期限が切れた薬は、効き目が悪いという話ではなく、薬の成分によってはカラダにとって毒となってしまうものもあるんです。
抗生物質や痛み止めの期限切れはかなり要注意だと思います。
この薬なら大丈夫はきっとないんだと思います。
薬を頼って生きてきた過去の私と、なるべく薬に頼らず自分のカラダを守っていきたいという今の私。
どの選択をするのかで人生は変わります。
今の私が大切にしたいのは、愛する自分の心とカラダが心地よくいられることなんですよね。
人生というパズル
私たちは毎日、さまざまなことを選択して生きています。
今日はどの服にしよう、お昼は何を食べよう、というものすごく小さなことから、進学、就職、結婚などの大きな決断まで、常に選択を繰り返しています。
どんな行動をするのか、どんな人と出愛うのか、何に時間を使うのか・・・私たちは意識的、無意識的に日々何らかの選択を重ねている訳です。
そして、その一つひとつが、人生という大きなパズルを完成させるための、大切な1ピースとなっているわけなんですよね。
そう思うと、小さな選択さえも大切にしていきたい!って思いますよね。
自分がやりたいことではなく、やるべきことだと思って続けてきたことはありませんか?
何の迷いもなく、楽しいではなく「正しい」という選択を繰り返してはいませんか?
その場の空氣に流されて、多数派の意見に従ったことはありませんか?
過去を振り返ると、自分の氣持ちにフタをして無理に踏ん張っていた時期もありました。
でも今は、自分の心にウソをつきたくないという氣持ちが強くなり、自分が本当に望む道を選びたいと思うようになっています。
自分にウソをつかない選択
自分の中に、ある常識や当たり前から自分を解放してあげることで、見える世界は変わり、人生がもっと自由で豊かに感じられるはずです。
自分の心にウソをつかないことこそが、自分らしく生きるための第一歩です。
自分らしく生きるということは、もしかしたら今までの生き方とは真逆の道を選ぶことかもしれません。
それでも、人生は選択の連続だからこそ、自分の心に従って選んでいくことが大切なのだと思います。
正しいことよりも「楽しいこと」、求められることよりも「やりたいこと」
どんなときだって、自分が笑顔になれる選択をしていきたいですよね。
それでも人間は
ここまで選ぶために必要なことをお伝えしましたが、どれだけ考え、勇氣を出して選んでも、私たちは後悔する生き物です。
「あのとき、こっちを選んでいれば・・・」という思いが浮かぶことだってもあります。
幸か不幸か、目に見える選択肢が多くなった現代において、「こんなはずじゃなかった」という氣持ちからは逃げられないのかもしれません。
でも、だからこそ大切なのは「自分の選択を正解にする」ということです。
人生の選択において最も大切にしたいのは、どんな結果が待っていても、その選択を自分の中で正解として受け入れ、そこから学び、成長していくこと。
それこそが、最終的に「幸せな選択」につながるんだと私は思います。
どんなときも大切なのは「自ら選ぶこと」