あの人ってすごいな・・・それに比べて私は・・・。
そんなふうに、誰かと自分を比べては落ち込んだり、劣等感に押しつぶされそうになったり。
ときに嫉妬の氣持ちが芽生え、嫌な自分になってしまったり・・・。
実はこれ、過去の私がずっと抱えていた感情でした。

比べること=悪ではない
人と比べることで「よし、私もがんばろう!」と前向きなエネルギーに変えられるときもあります。
だから、比べること自体が悪いわけじゃない。
でもね、いつも他人軸で自分を見てばかりいると氣づかないうちに、心がどんどん疲れてしまうんです。
私はその結果、自分で自分を苦しめて、人生の流れまで滞らせてしまっていました。
なぜ、人と比べてしまうのか?
それには、いくつかの心のクセが関係しています。
① 自己肯定感が低い
どうせ私なんて・・・とできないところばかりが目についてしまう。
自分の価値を自分で認められないと、自然と他人と比べて不足を探すクセが生まれてしまいます。
本当は誰もが唯一無二の存在なのに、誰かの活躍がそれは大きく見えて、自分が小さく感じる。
その根っこには、自分を認めてあげられない心があるのかもしれません。
② 負けず嫌い
人に負けたくない、悔しい・・・そう思う氣持ちは、決して悪くありません。
それが努力の原動力になることも、確かにあります。
でも、常に人と勝ち負けで比べるようになると、自分を休ませるタイミングがわからなくなったり、人に勝つこと=自分の価値と錯覚してしまうこともあるんです。
③ 承認欲求が強い
人に認められたい、褒められたい、そう思う氣持ちは、誰の中にもあります。
でも、その氣持ちが強くなりすぎると、どう見られているかが最優先になってしまい、本当の自分の想いが置き去りになり、氣がつくと誰かと自分を比べながら、認められそうな自分を演じてしまっていたりします。
④ 人と比べられる環境にいる
学校や職場、SNSなど評価されることが当たり前の環境にいると、無意識に人より上か下かで物事を捉えてしまうこともあります。
比べる視線が常にある場所では、自分のペースを保つのが難しく感じてしまいます。
比べられることが前提の環境は、知らない間に心をすり減らしてしまいます。
⑤ 自分を否定する思い込み
私は人より劣っている、もっと頑張らなきゃ、私はこうでなきゃいけない・・・そんな思い込みが
知らず知らずに自分にプレッシャーをかけていることもあります。
比べてしまうのは、理想の自分と今の自分がかけ離れて見えてしまっている証かもしれません。
でも、その理想って本当に自分が望んでいるものなの?
もしかすると、人に認められたい一心でやっていない?
思い込みに氣づけることで、心がふっと軽くなることもあるんです。
人と比べない私になれたのは…
私が人と比べることをやめられたのは、ある日突然できたわけじゃありません。
少しずつ、ゆっくりと変わっていったんです。
「どうせ私なんて」と口にするたび、私が求めていたのはきっと「そんなことないよ」という言葉。
そのとき思ったんです!自分が求めている言葉を自分で自分に言ってあげればいいんだって。
そこからはじめたのが、自分を励ます、ほめる、許す、認める、とことん自分に寄り添い自分を愛すること。
そしてあるとき、ふとした瞬間、ありのままの自分にやっとOKを出せたんです。

人の目や評価じゃなくて、私がどうしたいか、どうありたいかを大切にしたとき、人と比べることに意味を感じなくなりました。
だって、比べる必要がないくらい、私には価値があるって、心から思えたから。
もちろん今でも、あの人すごいな〜ってと思うことはある。
でもそれは、もう自分を否定する材料じゃなくて、自分を奮い立たせワクワクさせるものへと変えました!
★誰かの期待に応えるためじゃなくて、自分の心が喜ぶ選択をすること
★できないところじゃなく、できていることに目を向けること
★人と違っていても「私らしい」と思えることを大切にすること
そうやって自分の土台を育てていったら、比べるよりも「自分を味わう」そんな生き方のほうがずっと心地よくいられる。そう思ったんです。
同じエネルギーを注ぐのであれば、自己肯定感を高め、自分軸で生きる方が断然いい!!
縮こまった心とカラダを解放して、ありのままの自分を認めてあげるって本当に大切です。
