会社員をやめた50歳のとき、人生の節目ともいえるそのタイミングで、神社参拝をはじめました。
まずは、地元の神社をできるだけ巡ってみよう!と、神社めぐりをスタート。
いくつも神社を訪れる中、ここに来ると心が落ち着き、スーッと氣持ちが整う。
そう感じる、私にとっての”推し神社”に出会えたんです。

それから自然と、朝参りが習慣になりました。
春、夏、秋、冬・・・移りゆく季節を目で肌で感じながら手を合わせるこの時間は、私にとってまさに至福のとき。
見える景色も、感じる空氣も、毎日ちがう。
鳥居をくぐった瞬間に漂う空氣感さえも、毎日ちがう。
ここへ来ると、五感が研ぎ澄まされていくのがわかります。
ある日は甘い香り、またある日はお香のような香りがふわっと漂う。
自然の香りだけじゃない、目に見えない何かの存在を感じることもある。
そんなとき、心がくすぐられるのです。
それから、生きものとの出会いも楽しみのひとつ。
なぜか、稲荷神社に参拝しているときに限って、よく出会います。

ネコ、カエル、トンボ、カラス、ヘビ、キツネ・・・
どれも滅多に会えないからこそ、出会えた日はとっても嬉しい。
しかも、いつも至近距離で出会うんです。
私の中でそんな生きものたちは、みんな神様のお使い。
そして、今日出会ったのがセミ。

実は前日、家の窓から突然セミが飛び込んできて、逃がすのにひと苦労。
そんな翌朝に、今度は神社でセミと再会するとは思いもしませんでした。
目の前を横切ったかと思えば、私の足元に止まり、じっとしている。
心で何かを感じたとき、そこにはメッセージがある
そう思って、セミがもつ意味を調べてみました。
セミは、長い間土の中で過ごし、地上に出てからはわずかな時間で命を全うする生きもの。
その姿はまさに「変化」や「転換点」を象徴しているといわれています。
また、古い殻を脱いで新たな姿へと生まれ変わることから、過去の束縛からの解放という意味もあるそうです。
その言葉に、私は思わずハッとしました。
実はちょうど前日、7月7日。
私は長年、心に根づいていた母に対する思考のクセ、いわば子どもの頃から染みついた”ヒプノティックリズム”を今日ここで断ち切ろう、と自分自身に誓ったばかりだったのです ↓ ↓ ↓

その翌朝に起きた、セミとの不思議な出会い。
それはまるで、ちゃんと伝わってるよ、よく決断したね!と神様がそっと背中を押してくれているような、そんな氣がしてたまりませんでした。
きっとこれから、もっと軽やかに自由に生きられる。
そんな予感に満ちた、嬉しい朝でした。
