私は整理収納アドバイザーです!
私は10年前、整理収納アドバイザーと住宅収納スペシャリストを取得しました。
今からお話する人生の転機をきっかけに、片づけに目覚め、暮らし方も、そして生き方さえも面白いくらい変わっていったんです。
片づけって実はかなり奥が深いんです。
とか言っていますが、実は私、片づけも掃除も苦手だったんです
そんな私に訪れたある転機
どんなに嫌でも、モノと向き合わなければいけない”イベント”が私にやってきたんです。
それが【引っ越し】
36年暮らした家には、36年で蓄積していったモノたちが溢れかえっていました。
見ないふりをしていた押入れには、モノが隙間なく入っていて顔面蒼白。
引っ越し前のわが家の状態というと・・・
- モノが多い
- いらないモノであふれた部屋がある
- 床にモノが置きっぱなし
- モノが捨てられない
- 階段がモノ置き場になっている
- 収納棚、収納ボックスが多い
- 母がモノをもらうのが好き
- 母にため込みクセあり
家中にあるモノたちと徹底的に向き合う
家中にあるモノたちと向き合った結果、新しい生活に必要だったのモノは全体の3割ほど、あとは、見事なまでに必要ではないモノばかりだったんです。
足し算で暮らしてきた結果がここにはありました。
捨てても、捨てても終わりがみえてこない状態。
真っ暗なトンネルの中にひとり置き去りにされたようで正直、心が病みました。
が、そうも言ってられず、ひたすら大量のモノたちと向き合い続けました。
もう〜やってられない!!!って、何度、現実逃避したことか。
片づけをしていて氣づいたことは、片づけとは「カタをつける」ということ。
今の私には何が必要で、何が大切なのか。
使う、使わないを明確にしていって「いつか使うかもしれない」という曖昧なモノたちは迷っていないで、手放していくこと。
「いつか使うかもしれない」のいつかは、ほぼやってきません。
いつか使うかもしれないモノこそ、今手放すモノなんです。
どんなに高かったモノでも、希少なモノでも、使われることなく、ただ存在するだけのモノは生活に必要ないモノなんです。
そんな必要ないモノに大切な空間を奪われていませんか?
モノを処分することは、思っている以上にエネルギーが必要です。
モノが多ければ多いほど、処分するとき、ものすごくエネルギーを奪われます。
わが家は処分するものが多すぎて、心身ともに限界を感じ、業者さんに処分してもらいました。
ちなみに処分料10万円なり(-_-;)
いただきモノだから、買ったとき高かったからと、捨てられない過去への執着。
痩せたら着よう、いつか使うかもしれないと、捨てられない未来への執着。
住まいには、自らの心が映し出されます。
手放す(捨てる)痛みを感じる
大きなモノ、小さなモノ、高額なモノ、100均で買ったモノも、その時の氣分でパッとお金を出して買ったモノたち。
手放す(捨てる)時は「捨てる痛み」を感じることが大切です。
断捨離するとき、ちゃんと捨てる痛みを感じないと、ダイエットと同じでリバウンドが起きます。
断捨離した後、せっかくすっきりさせてできた余白に、モノを埋めたくなってしまうんです。
人は余白ができると、悲しいかな、モノやコトを入れたくなるんです。
なので、手放す(捨てる)ときに痛みを感じることが大切なんです。
ちゃんと痛みを感じることができたら、必要なモノだけにお金を使ってモノを大切に生かすことができるようになっていきます。
片づいた環境に身を置くことばかりが大切なのではなく、片づけをするその過程に意味があるんです!
私は引っ越しによって「徹底的にモノと向き合ってカタをつける」という経験をしたことで自分が生きていくのに、本当に必要なモノの量を意識できるようになりました。
物質的なモノに価値をおく時代から、精神的なモノに価値をおく時代へ。
私たちに刷り込まれた、幸せの基準をアップデートしていく時だと私は強く感じます。
コメント