誰もが人生には限りがある
そんな言葉を聞いても、普段はどこか遠い話のように感じてしまうかもしれません。
けれど、ふと立ち止まって「自分の人生の時間は、あとどれくらい残されているんだろう」と考えると、ドキッとしませんか?
私は40代半ばで、死生観“死”や“生”に対する考え方を学ぶ中で、命の尊さや時間の重みを改めて感じるようになりました。
限りある時間を、どう生きるのか。
その答えは、私たち一人ひとりの心の中にあるのです。
死生観が教えてくれたこと
人生は有限。
そんなこと、誰もが知っていることかもしれないけど、毎日の忙しさにまぎれて忘れてしまいがちです。
私が「死生観」という言葉に出会ったのは、40代半ばのころ。
死生観とは、「死」や「生」に対する価値観や考え方のこと。
“死”という言葉のパワーに引っ張られがちですが、本質はむしろ「生きる」ことにあります。
死を学ぶことで、生きる意味や在り方を、より深く知ることができるんだと感じました。
人生に与えられた時間は、砂時計の砂の如し減っていく
さて、そんな人生を砂時計に例えてみましょう。
ちょっと想像してみてください。
私たちは生まれた瞬間、一人ひとりに人生の時間という砂時計が与えられ、その砂時計の砂が落ち始めるんです。
自分の人生に与えられた時間は、砂時計の砂の如し、どんどん減っていきます。
あとその砂時計は、反転させることも、砂を増やすこともできないんです。
誰であろうとも、時間を巻き戻すことも、増やすことも不可能なんです。
もちろん、誰かに分け与えることもできないのが人生の時間。

自分だけの人生を、生きる
Love the life you live.Live the life you love.
これはレゲエの神様、ボブ・マーリーの言葉。
私の好きな言葉のひとつです。
自分の人生を愛し、愛する人生を生きる。
この世界で、あなたの人生を生きられるのは、あなただけです。
誰かの人生をもらうことも、自分の人生をあげることもできません。
たったひとつのこの命を、自分らしく、大切に使っていきたいですね。

思い込みが自分を縛っているかも
年齢を重ねると、無意識のうちに「こんなもんだろう」「もう無理かも」と、自分にブレーキをかけてしまうことがあります。
でも、同じことを繰り返していたら、思考はどんどんマンネリ化していきます。
変わりたいなら、まずは行動を変えること。
ほんの小さなことでいいんです。
例えば、いつもと違う道を歩いてみる。食べたことのない料理にチャレンジしてみる。
そんな小さな変化が、新しい風を運んできてくれます。

命を愛するという選択
人生を楽しむか、楽しまないか。
愛するか、愛さないか。
その選択は、他の誰かではなく“自分”にゆだねられています。
与えられた命を、どう使うのか。
私たちは、ご先祖様から受け取った命のバトンを手に、この世に誕生しました。
それだけでもう、奇跡の存在です。
だったら、その奇跡に感謝して、全身全霊で、自分の人生を愛して生きていきたいですよね。
私はどう在りたいかを問い続ける
死生観を学んで氣づいたのは、「生」は当たり前じゃないということ。
だからこそ、「どう生きるのか」を真剣に考えるようになりました。
そして今、私が大切にしている問いがあります。
それは「私はどう在りたいか?」
何かをする前に、何かを選ぶ前に、自分の氣持ちに耳を澄ませる。
その声に素直になれたとき、自分の在り方が見えてくるように思います。
今日という日は、命の砂がまたひと粒、落ちた日。
でもそれは、ただ減っただけじゃなく、大切な時間をちゃんと生きた証でもあります。
この瞬間を生きている自分を、もっと愛してあげましょう。
命という贈り物に、ありがとうを込めて。