私の心の支えとなる神仏への祈りの習慣|私とご先祖さまがつながる時間

亡き父と交わす毎日の対話

父がこの世を去って、39年。

命日に限らず、私は毎日、仏壇に手を合わせて父と会話をしています。

声に出すこともあれば、心の中だけのときもあるけれど、その時間は、今でも私の心を静かに整えてくれます。

子どものころから、私はなぜか“大きな何か”に守られているような不思議な感覚がありました。

誰かに教えられたわけでもなく、自然と続けていた神仏への祈りの習慣。

それが、心の支えになっていたのかもしれません。

命日とは

ところで、亡くなった日を「命日」と呼ぶ理由をご存じですか?

命日とは、この世の命を終え、あの世で“新たな命”を授かった日。

仏教や日本の伝統的な死生観では、魂が仏の世界へと旅立つ節目として、大切にされてきました。

そんな文化や祈りのこころは、どれだけ時代が変わっても、ずっと受け継がれていってほしいと思うのです。

ご先祖さまとつながる

先祖代々の命日を通じて私たちは過去とつながり、そのつながりが現在の自分にも続いていることを感じます。

今、私がこの世に存在しているのは多くのご先祖さまが命のバトンを繋いでくれたから。

ご先祖さまが、一人でも欠けていたら、いま私はここに存在していなかったわけで。

数えきれないほどのご先祖さまたちが命を繋いでくれたからこそ、私はここにいます。

そう思うと、ご先祖さまは“命の源”そのものであり、私たちの人生の土台をつくってくれている存在なのだと、あらためて氣づきます。

自分の命を大切に思えるようになったとき、そのルーツであるご先祖さまへの感謝も、自然と湧いてくるようになりました。

子どもの頃の私は、どんな思いで毎朝、手を合わせていたんだろう・・・ふと、そんなことを思うことがあります。

でも、その習慣があったからこそ、今の私があります。

神仏に祈る心、ご先祖さまへの敬意。

それは私に多くの氣づきと学びを与えてくれました。

ご先祖さまとのつながりを感じながら、今という時間を丁寧に生きること

それが、命をつないでくれた全ての存在への何よりの恩返しかもしれません。


父の死は、私にとってものすごく悲しくて、辛い出来事でした。

でも、その喪失の中から「生と死」に向き合うきっかけをもらい、氣づいたこと、学んだことは数え切れないほどあります。

今もなお、父の魂が私に伝えてくれることがあって、それを日々、心で噛み締めながら自分のことを愛し、大切にし、この命を全うしたい。

そんなふうに心から思えるようになったのも父のおかげだって日々感謝があふれます。

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