できるかどうかより、やってみたいかどうか

今年のGW、例祭に参加しました。

小学生のとき、浦安の舞で参加して以来なのでなんと40年ぶり。

あふれる好奇心から飛び込んだ雅楽の世界。

私の原動力になったのは好きからはじまった好奇心。

この好奇心こそが私を、今まで知らなかった新しい世界へと連れていってくれた。

私が出会ったのは篳篥(ひちりき)

とても小さな楽器ながら、演奏全体の主旋律を担うとても大切な存在。

まったくの未経験。

譜面も読めず、音もなかなか出ない。

見た目に反して、篳篥(ひちりき)はとても繊細で難しい楽器でした。

自主練だけでは限界を感じて、師匠のもとへ通うことに。

そこからの2ヶ月間は、ただひたすら音と向き合う日々。

時間を忘れて、何度も何度も繰り返し練習しました。

今年の祭りには、間に合わないかもしれない・・・最初はそう思っていたけれど、ある瞬間、心のスイッチが切り替わったんです。

できるかどうかじゃない。やってみたいかどうか。

そう思った途端、私は無我夢中になっていました。

子どもの頃は、できる、できないなんて関係なく、ただやりたいという氣持ちだけで夢中になっていた。

でも、大人になると無理かも、うまくできないかもと、夢中になる前にブレーキをかけてしまう

でも今回、氣づいたら吹けるようになっていたんです。

言葉にならないほど嬉しかった♡

無我夢中になるって、こんなにも心を動かすものなんだと、あらためて実感しました。

子どもの頃のように、ただ好きだからやってみたいからという氣持ちで踏み出してみる。

そうやって動き出したとき、夢中になるチカラは何歳になっても同じなんです。

例祭の直前、最後の練習のとき、師匠がかけてくれた言葉が本当に嬉しかった。

「これまでたくさんの人を教えてきたけれど、これほど早く吹けるようになった人は初めてだよ。」

その言葉に、2ヶ月間のすべてが報われたような氣がしました。

そして続けて、こう言ってくれたんです。

「本番は大丈夫。自信を持って、堂々と吹けばいい。」

どこか不安だった自分の背中を、やさしく押してくれた師匠のひと言。

その言葉が、私の中の自信へと変わっていきました。

そして本番では、心から楽しんで吹くことができたんです。

無我夢中になって、心からやりたいと思ったことにまっすぐ向き合う。

できたときの喜び、そして、想いを重ねた時間の尊さ。

いくつになっても、こうして夢中になれることがあるって、こんなにもシアワセなことなんだと、しみじみ感じました。

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