
私はもっと自分を輝かせ、大きな花をさかせたい!って、いつも思っていました。
その想いの奥には、自分の使命をまっとうしたいという静かで、でも確かな情熱がありました。
インフルエンサーになりたい、大きな成功を掴みたい、誰かの心を動かす存在になりたい・・・そんな夢を抱えながら、活躍している人たちの本を読み、会いに行って、話を聞き、いつか私も!とワクワクしながらイメージしていました。



きっと私は、何者かになろうとしていたんだと思います。


何者かになろうとするという思考の奥にあったのは、自分には何か足りない氣がする・・・という不足感。
今のままじゃいけない、だから何かにならなくちゃ。
自分を認めることの大切さを知っていながら、私は「今の私」を認めることができていなかった。
いつか私も・・・を追うあまり、私は「わたし自身」を感じることを忘れそうになっていた。
そして私は、私に言いました。



もう、何者かになろうとしなくていいよ。
不特定多数の人に存在を知られ、賞賛されるようになることが果たしてシアワセなのか?
何かを得たら、何かを失うことは多い。
また、何かを得たければ、何かを諦めなくてはいけないことだってある。
何者かにならなくても、今の私は充分満ち足りていてとてもシアワセ。
本当に大切なのは、未来を追いかけることよりも、今この瞬間を味わって生きること。
原点に立ち返って、ただ「今」を深く感じて生きていこう。


使命を果たしたいと思うことも、生きた証を残したいと願うことも、きっと「より良い自分でありたい」という氣持ちの表れ。
でも、その願いが強すぎると、私は「今の私」にOKを出せなくなってしまう。
そして氣づいたんです。
こうしてブログを書いていること、届けたい思いを筆文字で書いていること。


色々やってみても、たくさんの人に届かないことに不足感を抱いていたけど、それでも私は、書いているときに心がときめいている。
その瞬間、もうすでに心は満ちている。
幸せは、届くことではなく、ときめいている自分の中にあった。
たくさんの人に届かなくても、何かを成し遂げなくても、私は毎日私の好きをカタチにして、心がときめくことを大切にしている今が、たまらなく幸せだと毎日痛いほど感じている。
思考で生きる時間が長い私たち。
けれど本当に大切なのは、この瞬間をただ心で感じて生きること。
それこそが、私にとっての生きる原点かもしれない。
その感覚を追い求めることこそが、人生を深く味わうことなのだと、私は今、感じています。
常に自分と向き合い、自問自答することで心の引っ掛かりを手放すことができています。
きっと、まだまだ手放すことってあるんでしょうね。

