
今日という1日が、どんな1日だったらいいですか?



最悪な1日がいい?それとも最高の1日がいい?





そんなの聞くまでもなく、最高の1日がいいですよね。
今日という1日をいい日にするには
それは何かでもなく、誰かでもなく、自分の中で”いい日にする”と決める、ただそれだけ。
お金がいるわけでもなく、特別な時間が必要なわけでもないので、簡単といえば簡単。
まだ起きてもないことを想像して、不安や心配で心をいっぱいにして過ごすのか。
自分の思い通りにいかないことを、誰かのせい、何かのせいにしては怒ったり、イライラして過ごすのか。
小さな喜びを大げさなくらい喜んだり、些細なことに満足して、喜びと感謝で過ごすのか。
実はそれ、あなたの自由なんです。


目の前に不機嫌な人がいたとしても、その不機嫌にいちいち反応してしまうのはあなたの心、感情なんですよね。



まぁーそんなこと言いながら、周りの不機嫌にいちいち反応して、”イラッ、モヤッ” っとしていたこと、昔の私は日常茶飯事でしたけどね笑
すべては自分の思い方一つで変わっていくんです。
しかも面白いくらいにね。
あらゆる出来事を、自分がどう捉えるかで1日は、そして人生は見事なまでに、変わっていくんです。
自分はなんて運が悪いんだ。自分はなんて不幸なんだ。自分はなんてツイてないんだ。
そう思っていれば、そのように人生は作られていく。
自分はなんて運がいいんだ。自分はなんて幸せなんだ。自分はなんてツイてるんだ。



私はどんなときも↑↑↑そう思って生きています!
私の口ぐせは「すべてはうまくいっている」


1日に何回も何回もつぶやいています↑
誰かに「それは違うと思う」なんて否定されたとて、何も氣にする必要はないわけで。
どう思うは、ホント自由なんです。



そう思うようになってから、私の人生が変わったのなんのって。
自分が使う言葉、自分の思考のクセ。
それに氣づいて変えていくことで必ず変わっていきます。
その中でも中々変わらない、頑固な思考クセもありましたが、常に思考と言葉を意識的に変えていくことで心の在り方、考え方がジワリジワリ変わっていきましたね。
自分の人生をどう生きたいのか、自分はどうありたいのか。
自分がどこにフォーカスを向けてみるかでみるみる人生観は変わっていきます。



ここで私がいちばん好きな禅語「日日是好日」のお話を


日々起きる出来事に良い、悪いはないんです。
同じ出来事が起きたとしても嬉しいと思う人もいれば、その反対の人もいる。
起きたことに対して「良いor悪い」決めているのは自分の感情、心です。
どんな出来事にも、その奥には学びや氣づきが隠されているもの。
どの視点から物事を眺めるかで、感じる世界は大きく変わっていきます。
どんな日であっても、自分の心の持ち方ひとつで、その日の終わりに「今日も最高の一日だった」と思うことができる。
どんな瞬間にも、小さな幸せの種って存在していて、それに氣づく心を育てていくことで、日々がより愛おしいものになっていくのです。
“日々是好日”どんな一日も、今日も、いい日だった。
そう心から思えるような日々を、丁寧に積み重ねていきたいですね。


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