いつの時代も、誰もが心待ちにする春の訪れ。
その主役といえば、やっぱり桜。

パッと咲いて、パッと散る。
その儚さゆえに、より一層の美しさを感じますよね。
そんな桜を見上げながら、ふと思うんです。
桜は、誰かに見られたいから咲くわけでもなく、誰かに褒められたくて咲いているわけでもない。
誰にも見られなくても、今この瞬間を精一杯、一心不乱に咲いている。
ただただ、自分の命を輝かせている。
私も、そんな花のように、どんな場所でも自分らしく、一心不乱に生きていたい。
そんな人生って素敵だなって思うんです。
桜梅桃李の人生

桜梅桃李(おうばいとうり)という言葉を知っていますか?
仏教とも深い関わりがあり、私の好きな言葉のひとつです。
桜、梅、桃、李(すもも)、春に咲く花たち。


形も香りも違うけれど、それぞれが自分の持ち味を生かして、精一杯の花を咲かせている。
桜は、桃になろうなんて思わないし、もちろんその逆もそう。
それぞれが美しい花を咲かせるように、私たちも誰かと自分を比較するのではなく、個性を磨き自分という花を咲かせればいいという意味の言葉です。
とはいえ、私たちには感情があります。
つい誰かと比べてしまったり、自分の存在価値を見失ってしまったりするもの。
私にも、そんな時期がありました。
評価されたりほめられたり、仕事でうまくいっている人と自分を比較して劣等感を抱いてしまう。
ときに嫉妬やねたみの感情に飲み込まれ「なんで私はそんなこと思っちゃうんだろう・・・」と自分を責めて負のループに。


嫉妬は、自分と他人を比べたとき、自分と他人の「差」を突きつけられたとき生まれる感情です。
嫉妬って、重たいエネルギーを伴う感情であるとも言えるんですよね。
でもその根っこには、自信のなさや自己肯定感の低さがあり、無価値感や無力感などのネガティブな感情を引き起こしてしまうんです。
人と比べては嫉妬していた頃の私をふと、思い出すことがあります。
その頃の私は、周りの人が評価され、成長していく姿に拍手してあげられなかった・・・。
私ってなんて心が狭いんだろう・・・どうしてこんな氣持ちになるのだろう・・・。
その根っこにあったのは、「承認欲」でした。



承認欲とは、自分の存在価値を誰かに認めてもらいたいという
人なら誰もが持っている、自然な欲求です。
でも、それが強くなりすぎると、人と比べて落ち込んだり、嫉妬したり、本当の自分が見えなくなってしまうことがあります。
お釈迦様の教えによると、他者との比較に限らず、私たちの悩みや苦しみの多くは「妄想」から生まれるとされています。
人と比べてしまうこと、あらゆる思い込み、未来への不安や、過去の後悔・・・それらのほとんどが、現実ではなく自分の頭の中でつくり出したものということなんです。
だからこそ大切なのは、妄想を手放すこと。
心は、放っておくとすぐにあれこれ思いはじめます。
焦り、嫉妬、劣等感・・・本当は必要のない感情まで膨らませてしまう。


心はつい反応してしまうもの、妄想は増えていくものです。
それに氣づいて、無駄な妄想をしないという練習が必要なんです。
心の動きをちょっと離れて見ることができ、妄想がとまっていけば少しずつ自由になっていけるんです。
◎妄想に反応しすぎないこと
◎感情の波に振り回されないこと
◎今の自分を受け入れて、集中すること
すると、心は次第にニュートラルな状態に近づき、比べること自体が、必要なくなっていきます。
誰かと比べて焦ったり苦しくなるのではなく、今の自分に納得して、自分のすべきことに、淡々と向き合えるようになる。
それが、人と比べることから卒業するということなんですね。



私はできてます!!という感じで熱く語っていますが、正直いうと人と比べることから卒業できたのは最近のことです。
嫉妬という感情は、自己肯定感があがるにつれてはずれていったんですが、承認欲だけは徐々に弱くなっていったものの、根深かったぁー。



SNSのフォロワー数、いいねの数、ブログの閲覧数を私は氣にしない!!
なーんて、一生懸命自分に言い聞かせていることが、氣にしている証拠でしたからね。
かなり時間は掛かりましたが、やっとそれも手放せました。
この世に、存在価値のない人なんて一人もいません。
誰にも、その人にしかできないことが、必ずあります。
私は私らしく、そのままでいい、そのままがいい。
自分の中にあるキラッと光るものに氣づいて、それを思いっきり生かし、自分の花を咲かせましょう!