変わらない たしかな想い

私にとって神社参拝とは

私は子どもの頃から、神社仏閣がとても好きで、神社やお寺に自然と心が向いていました。

会社員をやめたとき、やってみたいと思っていたのが地元の神社巡り。

そんな神社巡りの中、鳥居をくぐった瞬間、まるで両手を広げて待っていてくれたような感覚を感じ、招かれている・・・と感じた神社があり、その神社にかれこれ5年、ほぼ毎日参拝に行っています。

早朝の神社は、雑念が消え、五感が研ぎ澄まされるように感じる。

心がザワザワ、モヤモヤしているときは、心がスーッと落ち着いてくる。

ただただ日々の感謝を伝える日もあれば、神さまとおしゃべりする日もある。

ときに決意表明する日もある。

ときどき届く、神さまのメッセージが嬉しい(滅多にない笑)

私にとって、心を鎮め無になり、自分を整えるとても大切な時間。

雨の日も、雪の日も行くんですか?ってよく聞かれるんですが、天候問わず自然と足が向いてます。

雅楽とのご縁

その好きが功を奏したのか、思ってもみなかったカタチで、雅楽という伝統に関わらせていただくことになった昨今。

雅楽については、以前こちらで書いたんですが ↓ ↓

まさか自分がこの世界に足を踏み入れることになるなんて・・・。

それはまるで、天からそっと舞い降りた贈り物のようで、今はこのご縁が私に与えられたお役目なんだと感じています。

kaco

ここ一ヶ月、師匠による猛特訓でGWにあるお祭りまでには、何とかカタチになるかと・・・。

八百万の神

日本には八百万(やおよろず)の神という言葉があるように、あらゆるものに神さまが宿るという考え方が昔から根づいています。

祭りという言葉の語源も、祀る。

祀るとは、儀式をととのえて神仏・精霊をなぐさめ、あがめるという意味。

日本のお祭りの本来の目的は神様に感謝すること。

神話の中に生きる、まつりのはじまり

お祭りの起源は、古事記に描かれた「天の岩戸隠れ」の神話に記されています。

天照大神(アマテラスオオミカミ)が、岩戸に隠れるという神話は、弟の素戔嗚尊(スサノオノミコト)の乱暴な行いに心を痛め、岩戸と呼ばれる洞窟に隠れてしまいます。

太陽神である、天照大神が岩戸に隠れてしまうことで、世界は闇に包まれ、災いが続きました。

困り果てた八百万の神々は、何とか出てきてもらおうと、岩戸の前で歌い踊り、大いに笑い盛り上がり天照大神の氣を引きます。

その様子に、心が動かされた天照大神が岩戸から顔を出し、再び世に光が戻ったというお話で、これがお祭りのはじまりと言われているんです。

どんなに世が暗くても、知恵と希望を持って行動すれば、やがて光は射す。

明けない夜はない・・・という、知恵と祈りが、この神話には込められているように感じます。

受け継ぐ使命と、私の役目

今、こうして雅楽に携わり、お祭りに参加することができるのも、きっと何か意味があること。

地域の人々によって大切に受け継がれ、それぞれの土地の風習が刻み込まれたお祭りがこれから先も絶えることなく受け継がれていくこと。

お祭りは、地域の文化や伝統を繋ぎ、次世代に伝えるうえで、なくしてはいけない存在だと思います。

私は、このいただいたご縁を大切に、静かに、でも確かに後世へと届けていけたら・・・と思っています。

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