今日の禅語〜放下著(ほうげじゃく)〜
放下著(ほうげじゃく)という言葉、ご存知でしょうか?
あまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、放下著とはお釈迦さまの教え禅語で一切の執着を捨てなさいという意味の言葉です。
私、禅語が好きなんです!禅語は日々心掛けたいこと、心を整え悩みを解消するヒントになる言葉があるんです。心穏やかに暮らしたい人にオススメです。
私たち人間は、手放すこと捨てることがとても苦手です。
でもね、苦手だからといって手放さないでいることは、心を曇らせる大きな原因にもなっているんです。
手放すものは物質的なものばかりじゃなく思考や過去の記憶のようなカタチのないものもあります。
どうしても捨てられないモノがあったとしましょう。
さて、その捨てられないモノは愛着なのか、執着なのか。
モノが一番喜ぶのは使うこと、見ること、触れること。ここにはモノへの愛着があります。
その反対でモノが悲しむことは使わない、見ない、触れない。ここにあるのはまさに執着。
高かったから、新品だから、もったいないからそういって、使われることもなく触れられることもなく、ほこりをかぶって苦しそうに部屋の片隅に追いやられてる・・・モノの気持ちになってみる。
執着で残しているものなら、手放してほしいときっと、モノは思っています。
あとは思考。男としてこうあるべき、女としてこうあるべき人としてこうあるべき・・・そんなべき思考、ありませんか。
こうあるべきという「べき思考」が表す義務や強制といった感情は、自己否定をするようになったり他人に怒りを感じるようになるなどと氣づかない間に、ストレスをうみます。
世間の常識やあたりまえ、無意識に思い込んでいることで苦しくなっていませんか?
握りしめているものを放してみる
数年前、会社員だった頃の私は、嫌なことでも喜んでやることで必ず報われる。
会社やみんなの期待に応えるために努力することんばること、それこそがわたしの生きる道と思っていて、いつも一生懸命でした。
そんな自分も大好きですが、私はそんな責任感義務感で動いていた場所から自分を解放させ22年勤めていた会社を退社。
そう、あの流行り病が流行りだした頃。
私にとって安心安定だった会社員という日々。
職を失うわけにはいかないって、必死に握りしめていたように思います。
でも、そんな握りしめているものをパッと手放したら本当に大切なことがいっぱい見えはじめました。
こうすべきを、こうしたいに変えていく。
正しいではなく、自分が笑顔になれる楽しいと思えることを選ぶ。
人にどう思われるかより、自分がどうしたいのか自分の氣持ちに正直に生きる。
自分の心を曇らせていること、苦しめていることがあるのなら、無意識に何かにとらわれているまさに執着していることがあるかもしれません。
今回のお話、放下着のお釈迦さまの教えは人間に苦しみをもたらすものは、外的要因ではなく心の内にある”執着”という煩悩。
これを手放せば苦しみはなくなる。
私はそんなお釈迦さまの教え、禅の言葉がとても好きでいつも大切なことを教わります。
手放し上手は、幸せ上手。
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