本日は、そっと寄り添い心を整えてくれる言葉「禅の言葉」について書いていきます。
今日の禅の言葉
行雲流水(こううんりゅうすい)
空の雲のように、川を流れる水のように、物事に執着せず自由に淡々と自然の成り行きに任せて生きるという意味の禅語です。
とらわれず、あらがわず、とどまらず
私たちは氣がつくと、固定観念という目に見えない枠にとらわれてしまいがちです。
固定観念とは
考えや価値観が凝り固まっていて、状況が変わっても考え方が変えられず、他者の意見に耳を貸さない頑固な考えや意識。
地の時代に刷り込んできた常識やあたり前で、正しいとか間違っているとかジャッジし合って、ときに争いになることもあります。
今、風の時代によって新しい価値観がうまれ、 固定観念に縛られない柔軟性を持つことが大切になっていきます。
「行雲流水」の教えのように、何かにとらわれることなく、雲のようにカタチを変え流れ続け、水のように一つの場所にとどまることなく流れていく。
自分の意志を持たないとか、何でもいいやという感覚ではなく、自分の信念はちゃんと大切にしていきながらも、自然の成り行きに任せ、柔らかく軽やかに生きることも大事だと思うんです。
今の私の中では、物事を考える上で、これが100%正しいと言い切れるものはないと思っていて、白か黒か、善か悪か、正しいか正しくないかという両極端の決めつけはしないでいようと思っているんです。
ニュースの情報や、ふと目にした出来事のすべてを知っているわけではないのに、憶測で決めつけてしまうのは、自分の中ですっきりしなくって。
この世にはたくさんの考え方が存在しているわけで、それを良い悪いとジェッジすることなく、そういう考え方もあるんだなって思った方が、心はラクだし、どんなときも心地よくいられることが私にとって一番大切にしたいことで。
白黒つけようとするから、世の中に争いごとが増え、重々しいエネルギーが充満してしまうような氣がして仕方ないんです。
握りこぶしをひらき、肩のチカラをぬいてゆったりと、自分の正しさを証明する必要ってないですもんね。
心をゆるめて
物事へのこだわりや執着は、私たちの心を重くして、自由を奪う原因ともなります。
他人の期待に応えようとするあまり、本当の自分を見失ったり、自分の価値を他人の評価に委ねてしまうなんて、自分の人生を生きていない。
「行雲流水」の生き方を意識すると、自分を縛っているものから解き放たれ、自分らしく自然体で生きることができます。
他人の目や評価を氣にするのではなく、自分の心の声に耳を傾け、心地よい方向へ進む勇氣を持つことが大事ですよね。
自然の中にあるヒント
ときに空を見上げる、自然の中に身をおく時間、とても大事です。
雲や水の流れを眺めていると、そこに争いや急ぐ様子はありません。
ただただ、自然の摂理に従い、存在しているだけです。
このシンプルな姿から、私たちは「いま」を生きることの大切さを学ぶことができます。
どんなに困難な状況であっても、それにしがみつくのではなく、自然に流れを受け入れることで、次第に道が開けることってありますよね。
雲や水のように、変化を恐れず、流れるままに生きることで、心が軽くなり、視野は広がります。